今回はにしおかすみこさん著『ポンコツ一家2年目』を読みました。
”2年目”とあるように、一冊目の『ポンコツ一家』を読んですごく印象的だったので、2作目のこちらも読んでみました。
本書はにしおかすみこさんの実体験をもとに書かれた本で、認知症の母81歳、酔っぱらいの父、ダウン症の姉48歳の4人の暮しが描かれています。
私自身、認知症とか介護が絡む話には少し抵抗がありました。
というのも、私が小学生のころから一緒に住んでいた祖母がすこしづつ認知症になっていく姿を見ていたからでした。
もともと祖母は一人暮らしでしたが、体調がよくないとかで一緒に暮らすようになりました。
母は祖母の介護をしつつ、私たち子供の世話をしており、体力的にも金銭的にも大変そうにしていました。
いつから認知症になったのかはっきりとは覚えていませんが、私が中学、高校に上がるにつれて、母から愚痴を聞くようになり、祖母が『お金をとられた』などと言っていることを聞いた時はショックでした。
そんなこともあって、本書を読んでいると思い出してしまいます。
当時、母から聞く話はとても深刻そうで、この本のように明るく笑い飛ばしたり、スルーしたり、やさしい気持ちになったりという場面があったのだろうか・・・?
私はなんとなく暗闇の中にいるのに気が付かないふりをしていたというか、目をそらしてあまり深く祖母の状況を知ってしまうことを避けていたように思います。
母と祖母はあのころ、どうだったのだろう。
この本のように本音をぶつけ合ったり、罵ったり、泣いたり、笑ったりしていたのかな。
本書の中で印象に残ったシーンがあって、
父と母と姉の年金と、にしおかさんの少しの給料でいつもお金の心配が絶えない中、エアコンが壊れ、部屋の照明がつかなくなり、洗濯機が壊れた。
お金はすっからかんだ。生活はできるよ、今のところはね。でも貯金が無いって怖いよ。助けたいときにお金がなくて助けられないことが怖いんだ。
私、不甲斐ないから、任せといてって言えないから。
家族も家電もできるだけ元気でいてよ。特に三人、中古一点物の代わりなどいないのだから。しおかすみこさん著『ポンコツ一家2年目』より引用
そうなんですよね。多分当時の母もそうだったんだと思う。この先どんな不測の事態が起こるかわからないのに、こんな立て続けに家電の買い替えが起こると怖い。
私も大人になったからその感覚がわかる。久しぶりに実家に帰ると壊れそうな家電をだましだまし使っていたり、使いづらいと言いながらも買い換えられないものがあると、買い替えればいいのに、と言いそうになる。
でも年金暮らしの両親にどれだけのゆとりがあるのかもわからず、生活はできているようではあるけども、10万円を超える買い物をして、病院代が足りなくならないか、急に入院することになったら・・・?という思いが頭をよぎる。
じゃあ代わりに私がプレゼントするよ。と言えるほどの余裕がないのがもどかしかった。
ここ数年で私の懐に少しゆとりができたこともあって、実家に帰るたびに何かしらの家電を買い替えたり、修理したり、片付けさせてもらえるようになった。
初めのころは、子供に何かを買ってもらうのが申し訳なかったらしいけど、『私が帰ってきたときに使うから』とかなんとか理由をつけて買ううちに、だんだん受け入れてくれるようになった。
いつか私もにしおかさんのように実家に戻って親の介護をするようになるのかな。そうなったとき、嫌なことを言われても聞き流しながら、愛情をもって接し続けられるだろうか、と不安に思う。
にしおかさんのお母さんは相手の表情を読み取ったり、姉の伸びた爪に気が付いて切るなど、些細な変化に気が付く人で、娘であるにしおかさんは自分にはできないこととして母を尊敬している姿があった。
にしおかさんは、庭にお花がたくさん咲いているところを見せてあげたいと思って手入れをしたり、単なる『介護』だけではなく、母に喜んでほしい気持ちにあふれていて。
でもそれも母はすぐに忘れて、話が明後日の方向に飛んでいきながらも本音でぶつかってる感じで、笑えるけど、切なくて、でも他人事とは思えない怖さみたいなのを感じました。
おしまい